「誉れは神に」

A. 鉄道模型の展示とエレキギターの「トロイカ」

 順牧師先生は、今年の夏の聖研ファミリーキャンプで利用する群馬県の施設(日本バイブルホーム)の下見に行かれました。帰りに立ち寄った町営の温泉で、エレキギターの演奏でロシア民謡「トロイカ」が流れており、懐かしくも哀愁を感じられたそうです。クリスチャンとして、鉄道や一般の音楽に関心を持つことが世俗的過ぎるなどと考える必要はありません。
 使徒パウロの宣教は、福音を中心に置きながらも、その活動内容は幅広いものでした。

B.聖書より

そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受けて神殿に入り、いつ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物を献げることができるかを告げた。使徒言行録21章26節
 エルサレム教会の指導者らは、彼が律法を捨てた者としてユダヤ人から批判されていることが心配でした。なんとかパウロがユダヤ人に受け入れてもらうようにと、あるユダヤ人の慣例に従うようにとすすめます。パウロは、イエス様の福音を信じていたので、それが何の意味もないことを知っていましたが、ユダヤ人の慣例に従えば、愛する仲間たちに福音を届ける機会があるかもしれないという思いから、パウロは費用を出し、共に清めの儀式を受けました。 パウロは、人間が神の救いに入れられるためには、イエス様の十字架の贖い以外に道はない、という点では、一歩も譲りませんでしたが、その他の形式的なことでは、むきにならなかったのです。このような、厳しさと寛容さの二つが兼ね備わるとき、信仰生活は健全なものとなります。

C. 神の摂理が現われた西洋の七音階 ルーサー・ホワイティング・メーソン

 明治時代、日本政府の依頼により、西洋音楽の教師として来日したクリスチャンのルーサー・ホワイティング・メーソンは、文部省唱歌に讃美歌のメロディーを多数使いました。日本の音楽教育の礎を築いたメーソンの日本派遣は、明治5年当時のアメリカ公使森有礼(後に初代文部大臣となるクリスチャン)が、日本政府を代表してトゥルジェーに要請したものでした。
 明治初期、メーソンが唱歌の多くに、讃美歌のメロディーを入れたことは隠されていました。文部省の役人に儒教派が多く、キリスト教に反対の雰囲気があったからです。そこで歌詞は花(か)鳥(ちょう)風月(ふうげつ)(天地自然の美しい景色)、忠君愛国、仁義(じんぎ)忠孝(ちゅうこう)にして、メロディーだけを讃美歌としていました。それでもメーソンはとりあえず讃美歌が採用されたことで、自分の宣教の使命は果たしたと考えました。なぜならば、「自然で完璧な音階」である西洋の七音音階は、神の摂理(神さまが人の利益を考え、この世のすべてを導き治めること)の現われだったからです。それまでの日本の五音音階では、神のみ業をあらわすことができず、不完全なハーモニーにしかならなりませんでした。神さまの摂理が音階という秩序になった西洋音楽を伝えること自体が、神さまの御業を日本に伝えることになったのです。
 もちろん、神の御業で最も大切なことが、キリストの十字架の贖いであり、それを伝えることが宣教や伝道の中心です。しかし、自然科学や芸術に現われる神さまの秩序や摂理もとり込まなければ、社会全体にキリスト教が溶け込むことは不可能です。現在、日本で音楽といえば西洋音楽を意味します。トゥルジェーに指名されて日本に来たメーソンが蒔いた種は実を結んでおり、日本人は知らず知らずのうちに、音楽を通して、神さまの御業に触れているのです。 

D.結び

 人が神さまの子として救われるためには、イエス様の十字架の贖い以外に道はありません。このイエス様の福音が中心にあれば、宣教や教会の活動内容は、ある程度の幅があってよいのです。私たちの命、能力、愛などの性質に至るまで、全て神さまが与えてくださったものだからです。
御翼2011年3月号その3より

 
  
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